どうやらあなたは版違い

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 一人暮らしをしていると、何となく色々な手間を減らそうと考えて極端になってしまう場合がある。例えば夜は自宅に帰って寝るだけの生活をしていれば、他に誰もいないのだから布団は万年床で蚤の温床一直線。料理は好きだけれど、片付けは好きではないという場合には週末に洗い物がどっさり。同じく洗濯物だって下着さえ替えれば他は溜めておいて一気に洗濯すればいいや、なんて。

 まぁ、私の場合部屋の中は比較的きちんと処理しているつもりだ。梅雨時期に乾かない洗濯物が部屋の中を縦横無尽にぶら下がっていることはあるかもしれないが、食事の後はすぐに洗い物を片付けるし、布団だって定期的に干している。ただそう、部屋の中はこまめに処理しても、元々外出嫌いの私は、外に行く用事を極端に少なくしようという傾向がある。それも人の多い場所へ行く場合は、何日も前から計画し、なるべく一日の中でどこもかしこも回ってしまえるようにスケジュールを組む。予定外の場所に行くことがないようにしたいし、外的な要因でそんな目に遭えば極端に機嫌が悪くなる。心が狭いなんて思わないように。私は世界が狭いのだ。何の自慢にもならないが。

 しかしそんな私にも唯一の例外がある。そう、本屋だ。数少ない外出時には、もちろんあらかじめ本屋に寄ることがスケジュールに組み込まれているわけだが、もしその本屋に目的の本がなかったとしたら。私は予定外の別の本屋へ足を向けるだろう。そこにもなければ別の本屋へ。本屋をはしごすることだけは、私にとって苦痛ではない。むしろ喜びを感じる。勿論、あまりにもあるはずのない本がない、となるとその本屋の品揃えをありとあらゆる言葉を操り罵ってやりたい気分にはなるが。

 そして新刊が出ているかいないかに関係なく、外出すれば本屋に寄る。ぶらぶらと棚を見て回って、財布と相談しながら時折衝動買いをして、こんな本が出ていたのかと手にとって表紙を眺め、裏表紙も確認する。

 至福だ。

 それ以外に何と言おうか。例え流行の服が売っていなくても、最新の本さえ揃っていれば問題ない。もし異世界に飛ばされても、その世界に物書きがいて、本屋があれば私はきっとそれだけでその異世界の存在を認めるだろう。まったく、本屋にいると私の愛が常に垂れ流しになってしまって困る。この愛に蓋をする方法を、私は知らないのだ。

 さて、暑い太陽の下を、それ以上に熱い愛でもって本屋をはしごした私は、冷房の効いた店内で求めていた本を見つけて一冊確保し、新刊棚の前で予期せぬ出会いを求めて立ち止まった。新刊棚には、買い集めてはいないものの、図書館で借りてシリーズを追っている作者の書き下ろし本が平積みされていた。手にとって裏返してみるが、あらすじなどはないようだ。私はその本をぱらぱらと捲ってみることにした。なるほど、ジャンルはシリーズものと同じくミステリか。登場人物はまったく新規のものだな、と確認していると、新刊棚の端に立っていた人物が、私の隣に移動してきた。

「ん? ……んん〜?」

 何だ、この男は。成りは良いが、無遠慮に近づきすぎる。しかも他人が手元で開いている本を上から覗き込むな。プライバシーの侵害だぞ。そういう私も、電車の中で他人が読んでいる本が気になって思わず目を走らせてしまう人間だが。

 とにかく、私は毅然とした態度で隣に立つ男を睨み付けた。その瞬間に、私の手元を覗き込んでいた男と目が合う。何だ、知り合いどころか、まったく見たこともない男だ。だが相手はそうでなかったようだ。私と目があうと、しばらく会っていなかった旧友に偶然出くわしたかのように顔を輝かせたのだ。

「やぁやぁ、ここで会ったが百年目!」

 だが男の口から出てきた言葉は、旧友にかける言葉にしては相応しくないものだった。そして私の方はといえば、顔は確かに見たことない男だと言うのに、この胡散臭い声を耳にしたことがあったのだ。

「生憎、私は百年も生きていません」

 私は地を這う不機嫌低音ヴォイスで言い返す。

「そうか、俺は生きているが」

 しれっと言い返してきたその声は、数週間前の休みの日に、待っていた本の配達時間と同じ時間に私の家を訪れ、期待に胸を高鳴らせていた私を失望のどん底に突き落としてくれた悪魔の――おっと、何の比喩にもならない――声だった。

「悪魔と一緒にしないでください」

 最初は電話越し、次はインターフォン越しであったため、その悪魔の顔を見るのは今回が初めてだった。私がその声からイメージしていた顔とはずいぶん違っている。声は聞くだけで胡散臭さを感じるが、その顔は、その、思っていなかったほど人間離れしているわけではなく。

「昨今は人間の方が悪魔より悪魔らしいと評判だが?」

 むしろ、一般的にも“イイ男”といわれる部類の顔だった。耳も尖がってはいない。いたって普通の成人男性の姿で、服もグレーのスーツ。ネクタイの柄や色も、常識的な選択をしていた。前髪を上げたその髪型は、いくぶんホストめいた雰囲気を醸し出してはいたが。

「悪魔が人間くさくなっている、の間違いでは?」

 何となく何かに負けた感じがして、私の返事は切れが悪かった。

「……よくもまぁ、そんなにぽんぽんと言い返せるものだな。引き篭もりの口下手な非社交家のくせに」
「……よくもまぁ、今まで一度もまともに顔もあわせたことのない人間のことを知っているものですね。生憎、皮肉だけは口が回るようにできているんです。リサーチ不足ですね」

 私は予想外に“イイ男”だった悪魔の顔から目をそらして自分のペースを取り戻そうと、頭の回転速度を上げた。まったく、“彼氏いない歴○年”なんて今更気にするような年でもないが、人と接触の少ない引きこもり女は、会話の相手がちょっと外見のいい男だからといって緊張するのか。自分で自分が情けない。

「リサーチ不足も何も、お前は俺の獲物ではない。よってリサーチする必要性が感じられん」

 こいつは悪魔。それもインターフォン越しの裏手突っ込みに感激するようなボケ悪魔だ。見た目に惑わされるなよ、と私は自分に言い聞かせる。

「そうですか。安心しました。ところで、リサーチするつもりがないのならなおさら、他人の読んでいる本を横から覗き込むという行為は不愉快ですよ」
「読まれて困る内容の本を立ち読みしているのか」
「問題はそういうことではありません」

 気を取り直してぴしゃりと言い返した後、私は思わず身震いした。何だ、急に寒くなった。冷房が効きすぎている。いや、先ほどまではむしろ心地よい室温だったはずだから、誰か暑がりがいて店員に苦情でも出したのか。私が疑問に思って店員の姿を探すと、悪魔も何かを見つけようとして首を巡らせた。

「何だ、あいつも来ていたのか」

 そして目的のものを見つけたらしい。私がついその視線の先を追うと、そこには真っ黒な布を頭からすっぽり被った姿の、怪しすぎる物体が立っていた。この冷房の効いた店内で、それ以上の冷気を放っている冷え性の敵、死神だ。

「やっぱり知り合いなんですか……」

 悪魔と死神だしな、と思って私が問うと、悪魔は首を傾げた。

「どうだろうな?」

 どうだろうな、という答えはどうだろうな?

「おい!」

 私の心の中での突っ込みを無視して――反応されたらそれはそれで困るが――悪魔は手を挙げて、棚の間を滑るように移動している死神に合図した。


「お前△○×か?」


 そして悪魔は意味不明の言葉を発した。少なくとも、私には意味のある言葉として聞き取ることができなかった。テレビでも使われなくなってきた、あの放送禁止用語に被される機械音のようにしか聞こえなかったのだが。

 首を傾げた私に対して、死神ははっきりと悪魔の言葉を理解した上で首を横に振った。ところでその死神の姿は私と悪魔以外には見えていないのだろうか。書店にあんな格好の奴が立っていたら、営業妨害もはなはだしいと思うのだが、店員が近づいてくる様子もない。

「違うのか。あぁ、分かった! 久しぶりだなぁ、五十年ぶりくらいか?」

 私を見つけて声をかけてきたときと同じくらいのテンションで悪魔はその死神に話しかけたのだか、ぼんやりと近づいてくる死神は、移動しながら小さく首を横に振ったようだった。

「何? 八十年ぶりのはずだって? そうか、じゃあ▽●○■と間違えたかな?」

 ふむ、会話をしている。私には悪魔が一方的に喋っているようにしか聞こえない。つまり、死神の声というものがまったく聞こえないのだが。

「ん? ▽●○■とは似ても似つかないって? ……そうか。お前達に名前を聞くと大概こういうやりとりになるんだがな……」

 私は近づいてくる冷気を不快に思いながらも、律儀に突っ込みを入れてしまう。

「それって、他からは違いが良く分からないということでは……?」

 ぼそりと口にすると、死神がぐっと私に顔を近づけてきた。近くにあっても、顔が見えない。まったく真っ黒な穴のようにしか見えない、というのは恐怖だ。私は思わず一歩も二歩も後に下がって逃げてしまう。

「『何故か多種族には毎回そう言われるが、全く不当だ!』……と言っているぞ。『違いの分からない連中ばかりで困る』だそうだ」

 人間にとっては、人生の最後に迎えにくる死神の名前が△○×だろうが▽●○■だろうが、違いなど分からなくても構わないだろうが。しかしこれ以上の突っ込みは、わが身を危険にさらすような気がする。

「そうですか、それは失礼しました。ところで今はお仕事中でしょうか」

 しかし根が皮肉屋なので、素直に引き下がるのは悔しい。暗にこの悪魔と一緒でお前も仕事をサボってんのか、この不真面目ヤローが、と言ったつもりなのだが、死神はそんな皮肉はどうでもいいのか私の方に首を向けながら――多分――また首を小さく横に振った。

「違うそうだ。お前の手にしている本が気になるらしい」

 悪魔はそう言って、私がすでに確保していた購入決定の一冊を指差した。

「これですか?」

 私がその本を胸の高さまで上げて見せると、死神は心なしか嬉しそうに頭を上下させた。

「自分はその作家が好きだ、と言っている」
「それは素晴らしい!」

 それを聞いただけで私はこの死神が昔からの友のように思えた。もうちょっとまとう冷気を抑えてくれれば、親友にだってなれそうな気になる。自分が好きな本を好きと言ってくれる人は――ヒトじゃあなくて死神でも――良い人だ。無条件にそう思える。本って、偉大だ。

「その作家は死神世界でも人気が高くて、翻訳もされている。これだ」

 死神は悪魔の通訳にあわせた形で暗幕のような体からすっと一冊の本を取り出した。

「何と!」

 私が目の前の死神どころか、死神世界全体に愛しさを覚えながら、死神から悪魔、悪魔から私、というように手渡された本を開いてみたが……当然読めない。

「死神語? というか、モザイク?」

 言葉が放送禁止用語に被る音に聞こえるなら、さながら文字はいけない画像を隠すモザイクのようにしか見えない。残念だ。発音は分からなくても、雰囲気で分かるような文字であればもっと死神世界に親近感を持てただろうに。

「俺は読めるぞ。どうだ、教えてやるから俺と契約しないか」

 開いて数秒もしないうちに本を閉じた私に、悪魔が囁いた。しかし私にとってその囁きは、悪魔の顔よりも私の心を誘惑するものにはなり得なかった。

「いえ、翻訳されるより前に原文読んでいますので、別に読めないままで良いです」
「案外超訳されて元より面白いかも」

 悪魔の言葉に、そんなことがあるのか、と死神を見ると、死神は私の視線に気づいていやいや、と小さく首を振る。本好きはその本について嘘をつくことはない。と思っている私は、悪魔の囁きよりも死神の首肯を信じた。

「……それはないようですね」

 内容的にミステリだから超訳はそのまま跳躍ってことに成りかねないし。

「ちっ……。おっと、いかん、仕事の時間だ。予定外の魂よりも、予定の魂を手に入れなくては……何だ、お前もか? ★●☆」

 悪魔の問いかけに死神が頷く。まだ私の魂を狙っていたのかと呆れるが、予定ものを、というその気持ちは分かる。予定外の本よりも、予定の本を手に入れる方が先決だ。勿論、両方書店にあればその場で両方手に入れる方がもっと得策なのだけれど。

 それより、結局この死神の名前は★●☆――発音不可能――だったのか、と私が思っていると、死神は呼びかけた悪魔に向かって首を振った。ふるふると、横に。


「……ん? ★●☆じゃあない? ……一体お前、誰だ?」


 ……分りづらい本の版刷表示みたいだな、死神って。


 私は仕事へと向かった悪魔と死神――固体識別不可能――を見送った後、結局あらかじめ確保していた本と平積みされていた新刊を手にしてレジへ向かっていた。魂ほど確保が難しいものではないけれど、出会いは大切にしなければいけない。将来的に、書斎なんか手に入れちゃって、“愛する対象が多くて困るわ”なんて高笑いできる日を私は夢見ている。そして人生の最後に、私の魂を迎えに来る死神が、私と同じ本を読んでいて、私の読書傾向を好ましいと思ってくれれば幸いだ。そんな人生設計を描く私は、今日も計画的に、一人で本を読んでいる。

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